Bourbon: a spirited history.
バーボンの歴史は、バーボン王朝を築いたビーム一族の歴史と同じく、アメリカの歴史を反映している。反乱、進歩、英雄、事実、伝説。それはバーボンがアメリカ生まれの唯一のスピリッツであり、そしてこれからもそうであり続ける理由でもある。
1700—Go west, young Beam.
1700年代後半、ドイツ出身の移民者がペンシルバニアでスコッチやアイリッシュのノウハウでライウイスキーをつくっていた。後の第3代大統領となるトーマス・ジェファーソンが州知事だった時、ケンタッキーで土着穀物であるトウモロコシ栽培に従事すれば、土地を与えるという奨励策を打ち出した。そこにジェイコブ・ビームも早期入植者として農業のかたわらウイスキー蒸溜をはじめた。
果敢な試み:トウモロコシベースのウイスキー。
当時、農家は農業からの収入に少しでも足しとするためにウイスキーを蒸溜し、それを売ることが普通だった。ほどなく、余ったトウモロコシで、新たに甘くて風味豊かなコーンウイスキーを作ろうと試行錯誤が加えられるようになる。
バーボンの真実の歴史。
つくり話:入植者は、清教徒が飲むお茶しか飲まず、酒の楽しみを知らなかった。
真実:入植者はウイスキーを蒸溜し、つくっていた。何よりウイスキーを心から愛していた。
さらなる事実:入植者は、1770年代半ばには、すでにトウモロコシベースのウイスキーを蒸溜していた。
ジェイコブ・ビームをはじめとする独立した思想家や建国時代の農民に、州の間を行きき出来る高速道路という手段がなかった。そのため、できた作物の大半を蒸溜してウイスキーにしたほうが、簡単にオハイオ川やミシシッピ川で運ぶことができ、目的地のニューオーリンズでは、ウイスキーのほうがもっと簡単に売りさばくことができると、彼らは気づいた。
1800—Sweet & Sour.
1800年代頃までに、ケンタッキー州では2,000もの蒸溜所が操業していた。今でも行われている「サワーマッシュ製法」を完成させたのは、ジェームズ・クロウ博士だと言われている。前回蒸溜したマッシュの「セットバック」部分を次にも使って、一貫した生産を確保できるようになった。
品質の一貫性を握る。
ジェイコブ・ビームの息子で2代目のビーム家ディスティラーとなるデイヴィッド・ビームが、おそらくこの製法を使用した最初の人物であり、今なお同じ製法を行っている。前回の蒸溜で残ったセットバックを再利用することで、次のバッチの蒸溜を助ける。こうしてバーボンはバッチが変わっても一貫した品質を保つことができるのだ。
1830—Kentucky Bourbon is born.
当時の蒸溜所は、魚や酢の保存に使用した樽にウイスキーを詰めて出荷していた。これではウイスキーの味が台無しだ。そんなとき、樽を燃くと嫌な臭いが消えることを発見し、ウイスキーの貯蔵用に焼いた樽が使われるようになる。これこそ、チャーしたオーク樽の誕生であり、本物のケンタッキーバーボンの独特の味が生まれた瞬間でもあった。
誰もが認める価値。
焼き入れをした樽材は、糖を作り出す。ケンタッキーからニューオーリンズまでの長旅の間に、その糖がウイスキーに素晴らしいカラメル味と黄金色をつけた。高い品質と風味が評判となり、このウイスキーは驚くほど人気を集め、多くの取引の場で価格以上の価値を認めさせた。こうしてこのウイスキーを求める人たちは、つくられた場所の名を取ってこのウイスキーをこう呼ぶようになる。「古きバーボン郡のウイスキー」と。
1900—A new era and dark days.
バーボンは1900年代を通じて成長と拡大を続け、その生産と品質についての厳格な基準を設けられたが、1918年に成立した禁酒法によりすべての操業はストップした。それから10年以上に渡ってバーボンの生産者は実質廃業状態に追い込まれた。
1933年 - バーボンの偉大なる復活。
1933年に禁酒法が廃止された時点で、多くのバーボンメーカーがすでに歴史に埋もれ消え去っていた。だが、ジェームズ・ボーリガード・ビームは、これを機に鉄道駅と電報電信局の近くに蒸溜所を移し、69歳という年齢でありながら蒸溜所を再建。家族の助けもあり、ジェームズ・B・ビームは、自らの手で蒸溜所を、たった120日で建て直し操業にこぎつけた。
1964年 - アメリカ生まれの唯一のスピリッツ。
時が経つにつれて、アメリカの土壌にそのルーツをたどることのできる唯一のメジャーな蒸溜酒としてジムビームをアメリカと世界中が愛するようになった。こうして1964年、リンドン・B・ジョンソン大統領は、バーボンを「アメリカ生まれの唯一のスピリッツ」であると宣言。そして2007年には、アメリカ上院議会で毎年9月を「バーボン歴史月間」に制定した。
1988—Return to small batches.
1988年に、ブッカー・ノーが、元来バーボンがつくられていた手法を復活させる。それがスモールバッチ、つまり少量生産による手づくりだ。こうしてつくられたバーボンはブッカーの名を冠するジムビーム以外の初のレーベルとなり、混ざりものの一切ない純粋なバーボンとして樽から直接瓶詰めされている。
どんな味にも合うバーボンを。
スモールバッチ・バーボン・コレクションに、ベイカーズ、ベイゼル ヘイデンとノブ クリークの3つのスーパープレミアムバーボンが加わる。そしてブッカーの天才的アイデアのおかけで、バーボンはルネサンスのような復活を果たし再評価されるようになった。実際、ノブ クリークはスーパープレミアムバーボンとして世界で最高の売上を上げ、世界最上級のバーボン、ジムビームと共に世界の舞台に立っている。
2007—National Bourbon Heritage Month.
2007年、連邦議会法により毎年9月が「バーボン歴史月間」と宣言された。このスピリッツの歴史、そして伝説の一族を祝い、ジムビームを楽しんでほしい。
ジムビーム、秘伝のレシピと製法についてはこちら。
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